今月26日から28日まで愛媛県四国中央市にある 親族(私の従兄弟)が住職を勤めていた、、、、、(泣)お寺へ行く予定でした。勤めていた、、、、、そうなんです いまから6年前の7月 住職は遷化(死亡)されたのです。当時訃報を受け、師父と共に早速四国へ向かう準備にはいった。しかし 現地に住する家族と連絡をとると「コロナ禍蔓延、、、さまざまな状況を鑑みご弔問はお断りいたします」ということであった。うん?何か納得いかず、、、住職の葬儀を行う住職のお寺へ連絡をする。「故人の娘さんが看護師さんなんですよ その子がご遠慮して下さい と申しておりますので、、ここはひとつ私共にお任せください師父上人にもお伝えください」
この時点ではいつまでコロナ禍 続くのかこの先どうなるのかわからぬ状況で、1年後にはいけるであろうと考えていた。今回結果から申し上げると、7回忌法要に参列する予定であったが、信じられない 台湾から そして沖縄地方から ダブルの台風が 九州四国から関東に迫ってくる。ぎりぎりまでチケットもかわず状況を見守ったがやむなく中止した 結果いけたかもしれない(現地では28日の法要日台風はさっていた)新幹線利用予定 都合8時間かかる行程にて、中止はやむおえなかった(泣)
まだ一度もご仏前に手を合わせていないのです。1周忌の時はまだコロナ危険な状況 いつでもいけるだろうと思っていたが3回忌も当方の法務過多にて都合つかず、、、、、
なんたることか6年もたってしまった 本年一月 住職の息子より連絡あり、今年は7回忌なので必ず来てください「親父もきっと忠龍さんに会いたがっているはずです」
泣いてしまった、、、、 必ず行くと約束したのが 本年の1月3日 無念でならない
少し思い出話にお付き合い頂きたい 私が仏道修行(僧侶養成専門学校)22歳~26歳まで励んでいた当時、夏のお盆休みを利用し住職のお寺に泊まり込みお手伝いをさせて頂いていた。1週間~10日間くらいの滞在であったが、「3年間」続けさせてもらった。住職(Tさん)は年齢は私の4歳上 当時30歳くらいだったTさんは独身であったので毎日一緒の場所で二人で過ごした もう三十年も前の事なのだけれど、いまでもとても楽しかった思い出しかない Tさん「ワシはかみさんおらんからの~朝飯おまえにつくってやれんのよ!忠{ていうか 昼も 夜もだろ、、、}朝飯は毎日駅前の喫茶店にモーニング食いにいこう!」300円くらいだったはず、、、しかしお腹はいっぱいになった というか朝飯より前に 坊さんなんだから 朝のお看経(お経)があるだろう?何時に起きてやってるのかな?私は修行道場の流れで 5時半に起きて待ってみた、、、、、しかし 何時になってもTさんは起きてこない 9時に起きてきて
「よし モーニングいくぞ!」ってな感じだった この時点で 全くの非日常 早起きしなくてよい状況 楽しくて嬉しくてしかたない (道場では毎日4:50に起きて掃除から始まっていたから、、、、、忠}考えるのは飯のことばかり~Tさん昼飯は?どうなるの Tさん「棚経廻ってきなさい そして 12時30分ころ 檀家の○〇さんというお魚屋さんにきなさい そこで待ち合わせ ちらし寿司でもおやばれしましょう」だって! もうわけがわからない わたしこの寺くるの初めてですけど、、、、魚屋の○○さんしらんけど、、、 およばれ ってなに ?ただでお寿司たべられるの?
もう~楽しくてしかたない みなさんも続きが聞きたい?
続きはまた 次回ご紹介させて頂きます