現住職ご挨拶~
野平耕龍 (昭和16年1月1日生 鹿児島県種子島出身)日蓮宗 大正寺に7人兄弟の五男として生まれる。その後大正寺は 廃寺となりましたが 現住職の 祖父開基の寺が、日蓮宗 妙正寺 として今も尚種子島に現存しております。
合掌
今からさかのぼる事、40数年前・昭和53年の秋頃、この東京都町田市相原という地とのご縁が生まれました。
開基上人の姓が 相原 出会いし土地 の地名が 相原町 なんという不思議 この地こそ 仏に導かれし地であると固く信じ、此処を聖地霊場と定め、布教活動の道場とすべく、霊園事業に着手いたしました。
十平米程のプレハブ小屋を事務所としてスタートし、様々な出会いと多くの方々からのご支援、ご助言を賜り、この度新事務所完成を迎えることができました。
この霊園が我々の大切なご先祖様の安住の地であり続けます事、そして今を生きる私達の、やすらぎの地であります事をご祈念いたします。
宗教法人 相勝山 妙法寺 武蔵岡霊園
令和2年8月吉日
妙法寺ホームページの開設にあたり
「現在の妙法寺は 私の妻 妙琳 と 私の姉弟子にあたる妙幸尼上人と息子(經王寺住職)と孫(現在 尼崎市大本山本興寺で修行中)の面々にて、力を合わせ、妙法寺 寺門興隆のため、寺と檀信徒の和合、関係各位皆様への感謝を忘れず(寺院運営、活動に)取り組んでいます。ホームページ、SNSなんやら私は全くわかりませんが、少しでも多くの方に妙法寺を知って頂くきっかけとなれば幸いです。
ホームページへのご訪問とても有り難いですが、是非一度 現地 妙法寺へも
お参り下さいますようお願い致します。
南無妙法蓮華経
令和6年10月27日 日蓮聖人743遠忌にて~
縁起
寺院名 相勝山 妙法寺
包括団体 法華宗 (本門流)
所属本山 京都 本能寺
開基 相原妙純(恵正院日純上人・1900〜1996)
寺院所在地 東京都町田市相原町4132番地2
縁起 沿革
昭和25年 相原妙純上人 東京都武蔵野市吉祥寺に「妙法教会」を設立
昭和28年 「妙法教会」を東京都多摩市聖ヶ丘に移転
昭和53年 東京都町田市相原町に寺院墓地取得
昭和58年 現在地 町田市相原町に「武蔵岡霊園」を開園
平成3年 3月 「妙法教会」を現在地に移転、同時に本堂建立落慶 宗教法人 「 相勝山 妙法寺」と寺号公称
平成8年 7月 開基 相原妙純上人遷化 野平耕龍 妙法寺第二世住職に就任
平成11年 2月 「武蔵岡霊園」第ニ期増設工事着工
平成13年 新区画開園
平成26年 「武蔵岡霊園」第三期増設工事着工
平成28年 最新区画開園
令和2年 8月 本堂庫裡 寺務所 霊園管理事務所完成
ご本尊
宗名
法華宗
*日蓮聖人ご自身が、遺文の中で「法華宗 の 沙門日蓮」と 御自ら名乗られたそのままの「宗名」であります。
宗祖
日蓮大聖人(貞応元年2月16日生(1222~1282)(安房の国=現在の千葉県)
幼名 「善日麿」12歳にして清澄山に登りその寺(当時は天台宗)の住職(道善房)を師と仰ぎ、名を 「薬王丸」と改め、その後出家得度し、16歳にして「是聖房蓮長」と名を改め、仏道修行に励むのでした。その後聖人は 諸国遊学の旅にでられます。鎌倉〜比叡山〜京都奈良等の諸寺を巡り研鑽を重ね 清澄山に戻り、建長5年(1253)4月28日 32歳 この日初めて 声高らかに「南無妙法蓮華経」のお題目を 唱え (立教開宗)名を 「日蓮」 と 改める のです。
*「宗祖」とは、一宗を開いた祖師の事です。本尊
本門八品上行所傳の「南無妙法蓮華経」
*「本尊」とは 信心、信仰の対象として、(もっとも)(昔から、本々)尊いものの意味です。釈尊も日蓮聖人も「南無妙法蓮華経」をご本尊とされました。
経典
法華経(妙法蓮華経)
*釈尊はこの経を説くためにこの世に出現なさったのです
日隆聖人(1385〜1464)
日隆聖人は至徳2年(1385)10月14日、越中国射水郡に桃井右馬頭尚儀・益子の次男としてお生まれになりました。幼名を長一丸と名付けられ、幼くして越中国遠城寺の慶寿院という僧を師として出家得度し、18歳頃に京都妙本寺の日霽聖人のもとで、日存・日道両聖人とともに行学二道に励まれたと伝えられています。
当時の室町時代は、宗祖日蓮大聖人の正しい教えが見失いかけられていました。妙本寺においても月明が妙本寺を継承すると僧侶たちの行学が乱れたので、三聖人はそれを正すように願い出ました。しかし、その願いは受け入れられず妙本寺を去って、宗祖が説かれた教えを深く学ぶために諸国を巡り、教義を検算されました。そして、応永22年(1415) 油小路高辻と五条坊門の間に本応寺(後の本能寺)を開創したとされています。
その後、日隆聖人が布教のために尼崎に来られると、尼崎領主である細川満元公より跡継ぎ安産の祈願を依頼され、見事にその期待に応えられたことから境内地を寄進され、応永27年(1420)に本興寺が開創されました。
また日隆聖人は、教義の研鑽だけでなく布教弘通の面でも積極的に活躍され、近畿地方から瀬戸内を経て、四国・北陸地方へと布教活動を行い、教線拡張に努められました。開創・改宗した寺院は十数ヶ寺に及んでいます。
その後、日隆聖人は本能寺・本興寺を弟子に託し、ご自身は宗祖の正しい教えを後世に伝えるため、三千余帖に及ぶ著作(御聖教)を撰述され、さらには本興寺に勧学院を創設し、後進の指導にもあたられました。勧学院は現在、興隆学林専門学校としてその伝統を絶やすことなく、今もなお宗門後継者の育成の場となっております。そして日隆聖人は寛正5年(1464)年2月25日、本興寺において80歳で入滅されました。
虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩は、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩とされ、智慧と福徳を人々に授ける菩薩です。左手に持つ宝珠は智慧と福徳の象徴です。
記憶をつかさどる菩薩様で、空暗記・そらんじる、などの言葉は虚空蔵菩薩の空から来ているともいわれており、日蓮聖人も12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったといいます。
日蓮聖人は、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給え」と願をかけ、ある時、虚空蔵菩薩が聖人の前に高僧となって現れ、智慧の宝珠を与えられた。注:1
※注:1 『善無畏三蔵鈔』に、「日蓮は安房国東條郷清澄山の住人也。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立て云く、日本第一の智者となし給へと云云。虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給て明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給き」
※妙法寺堂内で「一千日」間 願掛けし 霊園内に外宮として鎮座いただく予定です。
四天王
「四天王」は、法華経を信仰する者を お助け下さる 法華経御守護者です。
東から 持国天王 西から 廣目天王 南から 増長天王 北から 毘沙門天王(多聞天)で四天王です。
持国天は右手に剣を持ち東方を、廣目天は右手に剣を持ち左手には巻物を持って西方を、毘沙門天(多聞天)右手に矛を左手に宝塔を持ち北方を、増長天は左手に剣を持ち南方を、それぞれ守護しています。
烏枢沙摩明王
妙法寺では お手洗いご利用の皆様に
「烏枢沙摩に合掌してから !!」 とお願いしております
不浄所の 守護神 烏枢沙摩明王の
お札を ご自宅の おトイレに
お貼りください
お札のご購入は寺務所にお尋ね下さい
吉祥天女像
繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕わす女神様として崇拝されています。
母は鬼子母神 父は水の神徳叉迦龍王 夫は北方の守護神 毘沙門天王です。
もともとは、インド神話に登場するヴィシュヌの妃、ラクシミー像が祖形で美女の代名詞といわれて信仰されていました。
こちらの天女様は 礼拝堂に お祭りしてます。夫である 毘沙門天様(本堂内)の方向を向いて(夫婦が)見つめあっているかのような配置にしています。
頒布(はんぷ)物など:妙法寺寺務所にてお声がけください
日蓮聖人の 令和七年カレンダーを差し上げます(無料)
ご希望の方は妙法寺へお問い合わせ下さい。
※尚、数に限りがありますのでその際は ご容赦下さい。
令和7年度版ご祥暦(無料)
ご興味ある方には差し上げます。ご希望の方は妙法寺へお問い合わせ下さい。
布教機関紙 無上道(無料・郵送の場合は郵送料のみ)
郵送料のみ 頂いて お送りすることは可能です。 法華宗をより良く知る為に是非一冊どうぞ。
※尚、数に限りがありますのでその際は ご容赦下さい。
御朱印(妙法) (300円)
御首題(南無妙法蓮華経) (500円)
御朱印帳をお持ち頂ければ、その場でお書きいたしますが、住職不在の時は、別紙に書きましてお送りすることも可能です。
お花の御朱印 (1500円)
お寺に お越し頂ければ販売いたします。また、御朱印帳を お持ちいただければ、直接書き 印を 押します。
漫画『日蓮さま』 (1,000円 税込み)
日蓮聖人の伝記が誰にも読みやすい「漫画」で判りやすく書かれています。