必ず思い出すことがある。12月の声が聞こえてくると翌年2月3日の節分会星祭り法要の準備(お札書き等)を始める。自然と2月3日という日を意識する。平成17年の2月3日の深夜2時30分私の携帯電話が鳴った。
普段なら勿論寝ている時間であったがこの日は何故か眠れずにテレビをぼ~っと見ていた。電話の相手は「〇〇宗〇〇寺副住職」と表示されていた。あれ?今日4日の夜、他の僧侶も含め食事交流会をする予定になっていた。相手は女性の声「〇〇寺副住職の妻です。」「今、夫が、、亡くなりました。」今日の夜そちら様に会いに行く、一緒に食事をしてくる と主人が話していましたので、伺えなくなったことをすぐにお知らせしなければと思いお電話しました。生まれて数ケ月のお子さんと家族3人で温泉旅行に行かれていて、その宿泊先の旅館で息を引き取られたとのこと、、何よりも真っ先に私にご連絡を頂き恐縮です。必ずご弔問に伺います。といって電話を切った。毎年この12月ごろそして勿論2月3日には彼を思い出し寺坊の御宝前に法味を捧げさせて頂いている。彼との出会いは今からもう20年ほど前の平成15年ごろ。とある霊園の僧侶控室でたまたま同席した。彼の第一声は「私三重県からご縁あってこちらの神奈川県の霊園に来ております。〇〇宗〇〇寺の〇〇と申します。」そうですか ご苦労様です。私はこの近くにある妙法寺という寺の副住職〇〇です。年齢を伺ったら私より3才年上の見た目がとてもお若い柔和なお顔のご僧侶でした。名刺交換をしそれぞれのご法事に向かいお別れいたしました。するとその1週間後にこのご僧侶が妙法寺を訪問されました。(驚)ご僧侶曰く、三重県のお寺は檀家の方がとても少なく、また住職も高齢になり法務に時間を割けなくなってきた。東京、神奈川方面にて布教活動をしようと、ゆくゆくは別院を建立したいとのことでした。毎週末片道7時間かけて三重から来ているとおっしゃってました。そのうち自然と法事帰りや三重に帰る前に妙法寺へ立ち寄って下さいました。私たちは急速に交流を深め別院建立予定地を訪問するような関係になっていました。他宗門の僧侶ですから全く教義はちがうので敢えて難しい話はせず、彼の海外開教師時代(ブラジル)のお話をいつも楽しく聞かせてもらっていました。
その当時、若干気にはなっていたのですが、彼は小柄な体つきで声のトーンもお坊さんにしては低いなー 会話の途中で息切れしてる感じもありました。〇〇さん三重までいつも運転してちゃんと睡眠とれてますか?少しゆっくりお休みをとったらいかがですか?なんて話したりしてました。うん 子供もできたことだし今度ゆっくり家族で温泉でも行きたいな~って
それがまさかこんな形で悲しいお知らせを聞くことになるとは、、、、、、、知り合ってからわずか2年でのお別れ、、、葬儀には沢山の同門のご僧侶が弔問に来られることが予想されたため葬儀の1時間前に完成途中の別院を訪問しお別れをしてきました。すでに多くのご僧侶方がご葬儀のご準備をされ集まっていましたが、見知らぬ出で立ちの僧侶が現れ、ご霊前に進み出てでっかい声で「南無妙法蓮華経」と唱えるもんだから、、皆さん凍り付いて、、〇〇和尚さん聞こえてる?あれからもう20年、、、〇〇和尚さん どうされてますか そちらでお仲間にブラジルのお話しでもされてますか?
貴方の亡き後ご住職は老体にむち打ち発起され、新たにお弟子さんを迎えご立派に別院を完成させました。その後ご住職は令和3年にお亡くなりになりました。今でもなお貴方のお母様は,この別院で貴方の菩提を弔っておられます。そしてお母様は、毎年拙僧に年賀状を下さり私を気遣って下さいます。後を継がれたご住職もあなたと同じように事あるたびに三重県の本寺に行っておられます。どうぞ貴方の大切な皆様を御見守り下さい。合掌 (忠)