ご法事をさせて頂くとき必ず塔婆を建立し供養して下さい。とお願いしている。「塔婆ってなんですか?」であったり「そもそも塔婆を建てる必要あります?」とか「いくら料金はかかります?」と質問は様々である。順を追って説明したいが、そもそもの塔婆の由来、意味については、「ググって」欲しい😉
お墓の後ろ側や側面に建っている長い木 なんとなくそんなイメージで塔婆を認識されている方もいる。「浄土真宗」という宗派は 一切塔婆という概念がないらしく塔婆など建てて供養はしないみたい。(お墓を建立するときもそもそも塔婆立てなど作らない)
しかしその他の仏教各派は基本塔婆供養をしている。私達(法華宗)が塔婆供養する意味であるが、信奉している「妙法蓮華経」=「法華経」の「如来神力品第二十一」←すごい名前(表題)のお経でしょ?{神力}神様のお力ですよ!の経文の中に「起塔供養」「即是道場」という経文がある。簡単に説明申し上げると、どのような場所においても塔婆を建てて供養すれば、その場は荘厳され、仏さまが宿る場所(道場)となり功徳が頂ける。と!ご理解頂きたい。よってよく信徒さまに質問される。「うちのお墓、塔婆立てがないんですよ。ですから建てられないので塔婆は結構です。」←すぐさま私言い返す?そうですかそれでは仕方ないですね、、、とは言わない 塔婆立てがなくてもお墓の敷地内に置いて供養しましょう 供養が終わりましたら お寺に持ち帰りお焚き上げ供養しますから、、、、
え~うちのお墓小さいんです。塔婆を置ける余地などないです~ (私もしつこい)塔婆は3尺、4尺
と小さい短い塔婆があるんです。置けますので供養させてください。ご遺文「草木成仏口決」に{我等衆生が死するとき(死んだとき)塔婆を立てて供養するは、死の成仏を意味する。草木成仏とは之也}
*法華経には草木成仏といって 我等人間、そして全ての動物、あわせて植物、息とし生けるもの命あるものすべての生命の成仏が説かれている。塔婆は樹木である 草木成仏とはこういう事である。
お塔婆1本いくらですか?3500円です。すみません そんなお金ないです。お布施を差し上げるだけでも大変なんです。 忠)はい わかりました 。お寺の本堂で供養するときは、是非建立して下さいね。、、、、、、 信徒さん)、、、、、? この住職さん何言ってるのだろう?って思ったかもしれません🤣
法華経を読まない仏教宗派がも塔婆を立てて供養している。どのような意味合いの基に塔婆を建立しているのだろう?「亡骸、遺骨のある場所。目印。?」
塔婆を立てる意味など理解していなくて お墓の風景のなかに塔婆が立っているとイメージしている人も一方である程度いる。浄土真宗のご信者さんなのに、「お寺さん お彼岸なんでお塔婆書いて下さい。」なんてお声がかかることがある。しかしあえて私は 浄土真宗さんはお塔婆上げないですよね?といわない。お彼岸だから とか お盆だから お塔婆上げなきゃ って思っている人が、いることがなによりありがたいし、うれしい!」極端な話かもしれないが、霊園内のお墓のすべてにお塔婆があがっていれば、詳細に「塔婆を立てる意味」なんて説明する必要などないかも?
ですからこちらの女性に対し 「はい わかりました。そうですよね お彼岸ですもんね」といい
堂々と「南無妙法蓮華経」と書き {釋}からはじまる戒名を書くことを気にもせず、お題目のお塔婆を書き建立しました。墓前に共に向かい、ともに手を合わせ 私は心の中で「南無妙法蓮華経」と唱え こちらの女性の方は、「南無阿弥陀仏」と声にだし称えておられました。墓石石塔の正面には
「倶処一会」と刻まれていました。お墓の中のおじいちゃん! びっくりしたでしょう!
浄土真宗の一般的なお墓↑ 法華宗、日蓮宗の墓↑(塔婆が後方に建立されている)
またまた 大袈裟ですが 「法華経」が「阿弥陀経」に勝利した瞬間です。
あれ?↑このコメントはいらなかったかな~~(忠)
*「倶会一処」とは「阿弥陀経」にでてくる一説で「共にひとつの場所で会う」という事です。
亡くなった後、お浄土で再び会えることを約束する というお言葉です。
*昨今のお墓建立の傾向
墓石の大きさはどんどん最小化していき1平米以内の墓石を建立する人がほとんど、、よって塔婆立てなど宗派の教えとか関係なく一切作らないし建立デザインの中にそもそもの選択肢すらない。古くなったお塔婆はいつまでもお墓に上がっていると景観上もよくないし、環境、衛生上もよくないとの考え方が主流になってきた。また塔婆の処分は産業廃棄物扱いになり、処分料を払って塔婆を処分してもらっている霊園がほとんどだ。もうきっと個別のお墓の敷地内に塔婆立てを建立する形態は、きっとなくなる。(樹木葬や永代供養墓のニーズが増えてくる。)このような状況だからこそ、塔婆を立てる意味を説明し続ける必要がある。要するにお墓に立てるのが、塔婆なんだという考えを払拭し、「即是道場」 どんな場所にでも塔婆を立てられる と 話していこうと思う。
では処分料を払うなら塔婆建立をあきらめよう という考えに対しては、塔婆はお経を上げお焚き上げ供養をしようと すればよい 塔婆なんて必要ない! そんな考えが定着しないようその必要性を訴えていきたい。